1998年7月28日

7月28日 バンクーバー 〜まさかの衝突事故発生!〜

 ここは朝食付きで、ドーナツとコーヒーとオレンジジュース。タッパー持ってもらいにいくと、けちなマスターの目つきにびびるって感じ。ふん、でもこっちは5人いるんだからしょうがないもんね。しかし、あとでコーヒーをおかわり、と思っていくと、すでに片づけられていたのだった。けち!

Capilano  今日は、バンクーバーのお手軽レジャー、キャピラノ渓谷、グランビル島へ。
 キャピラノ渓谷は家族割引で22カナダドルかかる。高いなぁと思ったが、こじんまりとした観光地でそれなりに価値はあった。なんといっても、北米一長い(ほんとかなぁ?)不安定な釣り橋がこわくて、こわがりさんには価値がある。(こわがらずに、さっさと渡れる人には価値なし)ここのみやげ物屋では、大西洋にうかぶ島 (P.E.I.) の赤毛のアングッズがたくさんおいてあって、変。沖縄で北海道の熊の木彫りが売られてたら変でしょう?

 グランビル島。工業地帯だったところを再開発しておしゃれな観光用スポットにした新しめの商業地区。おみやげ物店やギャラリー、食料品などの雑多な買い物ゾーンの中に無料のウオーターパークがある。ここでも子供達はあそぶあそぶ。やんちゃないたずらっこがいて、見てるほうも楽しい。夫と

「こっちの子(アメリカ、カナダ)って遊ぶのうまいよねぇ。」

と感心しましたわ。ちゃんと行列を作って待つし、ひとつのものを大勢でつかうのに争いも緊張もない。それでいて、弾むようにのびのび遊ぶって感じ。知らない子でも融けこんでるようだし。ゆかたちも水かけられて楽しそうにしてる。日本の、<いっぱいいるのに、知り合い以外はいないも同然>というよそよそしさがないのだ。良い点ですね。

Stanley Park  地図の中で一番大きいモール、その名もメトロポリタンモール、に行ってみる。ここは、どんどん拡大していってる中華街の振興地区にあり、ひと目で経営母体はチャイニーズだとわかる。もちろんフードコートは充実。ウエスタン、中華、コリアン、メキシカン、寿司だってうどんだってある。韓国らーめん、メキシカンポテト、手羽焼き、など私たちにしては珍しく、ぜいたくにおなかいっぱい食べました。これで約25カナダドル。私はこの地で、<バンクーバーは日本のリゾート、中国の植民地>という感想を持った。多分、私が知らなかっただけで、いろんなところで言われてるに違いない。

 そして運命の時がやってくる。モーテルへの帰り道。対向車線を横切って、ハイウェイへの側副路に入ろうとした。3車線のうち2車線の車は前がつまっていたので、私たちの通路をあけてとまってくれていたのだ。そこですばやく行こうとしたのだが、一番外側の車線へ車がおりてきて(ゆるい坂道だった)衝突。私たちの車はぶつかった勢いで植え込みにのりあげた。相手の車はそのままとまって動かない。3人のこどもたちが無傷なことを確認して、私たちは絶望(もう車が売れない)、呆然(帰国直前に事故しちゃった)と車をおりる。相手は負傷した様子はない。付近に住んでるおじさんが、衝突音に裸足でとびだしてきて、子供達が車から降りてこないのを重傷と勘違いしながら、通報してくれた。なんと、真っ先にきたのは、消防車、次に、救急車。そして、警察。まさにフルコース。

 相手も不注意だったが、主線にいたんだから、あそこでとまる義務はない。私たちの車は、2車線の好意にあまえて3車線目への注意を怠ってつっこんだ。ほとんど私たちに非がある。警察はそう言い、私たちもそうだと思った。幸運にも双方の車の破損だけで済んだのが救い。相手がたちの悪い人だったらどうしようとびびっていたのだが、これも幸いというべきか、相手のおじさんは何やらうしろめたいことがあるような人だったのだ。(数カ月前にも事故をおこしていて、視力があまり良くない。)ともかく私たちは、警察に

「あとは保険会社に電話するだけだ。」と言われ、

「一応形式としてこの書類は渡すけど、君たちはケベックの管轄の人でここはブリティッシュコロンビアだから従う義務はないんだよ。」

と反則金の請求書を渡される、ウィンク付きで。何やら、めっちゃラッキーな取り扱いをしてもらったようなのだった。相手が悪かったね (目がやや不自由なこと) という、やや同情的な扱いをしてくれたのだ。
 車はようやっと、がらがら動き、モーテルにまで運べたものの、気持ちは暗い。500ドルはパー。まさに、とらぬタヌキの皮算用だった。ヒューイさんに電話すると、明日モーテルまで車の状態を見にきてくれるという。翌朝保険会社にも連絡 (時差があるので、モントリオールでは保険会社はもう閉まっている時間だった)。二日後に期限の切れる保険だったのだ。

「はいっててよかった。」

 ここでもあとのことはすべて会社にまかせるので帰国はできそう。安堵。こうなると気の毒なのはあの相手のおじさんだ。私たちのせいで、あんなことになったのに、私たちは日本に帰ってしまう。こっちでは、事故の当事者というのは一切コンタクトをとらないから、気に病むことはないのだろうけど、なんかひっかかるものがあった。ごめんね、とあやまりたい。

 私は軽度のむちうち症状がでてきて、首を冷やしながら寝た。これくらいですんで本当によかった。夫は自分が運転していたため、自責の念でいっぱい。かわいそうなくらいだった。


【7月29日 〜 感動の最終日へ】