岡沢家のホームページ


ざわざわぼんじゅー桜満開号

 お久しぶりです。(今うちまちがえて おひさし風呂です、とでてきて笑わせてもらった)うちのホームページ開けても開けても あけましておめでとう号だったざんしょ。いやー、忙しかった年度末だったわ。夫に、いい加減、書き換えようぜと言われつづけて3カ月、やっと出します。

オカザワ家の近況;日本の春はいいのう

秀彦氏;4月から新しい研究所が起動。今までは開設準備室だった。この前、休みの時に見学させてもらった。うーむ、この器を動かして、それなりに成果をあげるのは大変そうだった。なぜかコンピューター室と同じスペースに看護婦さんのお茶のみ場があるのだった。

 それでも、研究者としての恵まれた環境に彼は満足「仕事は楽しい」と。いいことだ。この不況下にあって、この身分。2年間モントリオールで苦労したかいがあったか?

Family 春になって、彼は阪神戦とNBAでアツイ。お茶の間で解説者になるお父さんは多いだろうが、彼の情熱もまたすばらしい。息子はすでに洗脳されて、将来は野球選手かバスケット選手になって薬屋をやると言っている。この前など、保育園の友だちのお母さんに「しんごくんのお父さん、仕事はバスケット選手なんですって?」と言われて、けっこう喜んでいた秀彦氏であった。本望であろう。子供達は、野球の試合で、くれよんしんちゃんやどらえもんやちびまるこちゃんが見られない日があって、気の毒。「うちにはテレビとトイレが2ついる」と最近主張しはじめている。

 私も阪神の勝敗が夫の精神状態ー機嫌を左右するので、気にしている。阪神優勝せーとはいわん。5回に3回は勝ってくれ(そんなに勝ったら優勝や;秀彦注)。阪神の希少な勝ち星の次の日、彼はいそいそスポーツ新聞を買いにいく。

りえ(小4);相変わらず、語彙の貧弱が目立つものの、最近はクレヨンしんちゃんのコミックスを古本で揃えて、寸暇を惜しんでよんでいるおかげか、かなりの場面を記憶して、言葉もわずかながら増えているようだ。いい言葉ではないことも多いが、まぁそれとて言葉にかわりない。ときどきとつとつとおもしろい部分を教えてくれる。(これが笑えない)

 クラス替えもなく担任も持ち上がり。超ハイな日々だ。なった係りはお助け係。それって何するの?ときくと、

「例えばだれかが給食当番なのに休んだら、その子のかわりに当番やったり、助けがいるときに何でもする」という。

「ふーん、雑用なんでも引き受けます係だね、本業というのはないんだね。」

保健係をしたかったがジャンケンで負けたそうな。それとてケガをした人を保健室に連れていくだけ、らしい。

春休みは3年の総仕上げで算数のプリントをやらせたら、これができない、できない。涙をためながら何回もやりなおしをさせられた。学校での成績は優秀、というのは単元ごとの評価なんだな。少し時間がたってからおさらいをすると、全くわかってない。わり算というのは、わる、というのはどういうことか、というのがわかっていない。概念はわからなくても、その時の単元学習は乗り切れる。だから、力もついてないのに、成績はよい、ということになるんだな。

 そして、それがつもってくると、急に落ちこぼれる。数学なんかになったらおてあげ。それはまさに母である私がたどった道。娘には絶対私の道は歩ませないわ!ということで、オニババ、オニチチとなって、しごいた春休みであった。夫も、自分がした家庭教師で、中2なのに、小2からやりなおした子の話をして、

「そんなことしたいんか?」

と、びびらせていたのであった。

 新学期がはじまり、その家庭学習も終わったのでよけいルンルンなりえなのだ。こんどの春休みまで、ちゃんと勉強しとけよ。

ゆか(小3);クラス替えがあった。思った通り、仲良しとは離ればなれ。それはクラス替えのおきまり、らしい。でも、近所に同じクラスの子がいる、ように設定するんだそうだ。だれと一緒かなぁ、と言ってら、斜め向こうの家の、女なんか!というような(要するに次女とは相いれない)男の子だった。フェイントだった。

 最近は以前にも増して容姿を気にするようになってきた。なのに、前歯は欠損して黄色くなってるし(成長してから治す)、平均より身長低いのに、座高は高いし、おかっぱ以外のヘアスタイルは似合わないし、その上、私に前髪ちょんちょんに切られてしまった。

 ダメ押しで、仲良しの友だちは、バレエをやってておしゃれでかわいい、ときた。夫も

「めぐみちゃんてかわいいよな」

などと言う。しかし、どうあがいてもめぐみちゃんにはなれない唯香に

「ゆか、容姿で勝負するのはあきらめろ!内面をみがけ!」

ともいえないのはやはり親心か?

しんご(小1);Family どきどきどんの1年生だ。

 母、感激うるうるの卒園式(お母さんありがとう、と授与された卒園証書を母に手渡す儀式があるんだよぉ)を終えて、2週間。桜並木をくぐりぬけ、晴れの入学式に親子でルンルン。3番目の子とは思えない新鮮な感動に満ちた春でした。どうしてこう男の子ってかわいいのでしょう。どうみても、服きた小猿だというのに。

 日本の1年生なんて4月中はほとんど幼稚園状態だから、毎日遊びにいってるようなものだ。モントリオールの補習校では入学式のその日からみっちり6時間授業で1週間分こなしていった。外国にいる子が気の毒なのか、日本にいる子が甘やかされているのか?

 機嫌良くスタートした息子だったが、太腿に数針縫う不慮のケガ。みんなと一緒に遊べず、ちょっとブルーな1週間をすごしている。つまらない、とすねる息子に

「しんご、小さい頃から、一人遊び得意じゃん、一人で遊べば?」

というと、

「もう、ひとりで遊ぶのはつまらない年になったんだもん」

親バカだが、こういうセリフにちょっとじんとくる母でした。

 ちせこ; ちょっとした偶然から、2月、3月だけの辞令でお助けマンになった。近所の幼稚園の保健の先生。職員室の中、公務員の世界、というのを垣間みることができたのはおもしろい経験だった。

 驚いたのは、幼稚園の先生や用務員はだいたい3年もいれば移動になるということだった。幼稚園を構成する人員が常に流動的。大津市が採用した人員がぐるぐる回ってるわけだから、大津市立幼稚園が全体に見て似たようなカラーになるということのようだ。

 とはいっても、結局は園長のカラーになるらしい。

「何もかも、園長しだい」

とは、はりきり用務員さんの断言。確かにすべてにおいて、園長にお伺いをたててから、がきまりのようだった。やはり、みんなが、園長をたてまつっているのがわかる。しかし、その園長も、ただ君臨してるだけではない。役所関係、学校関係への気の遣いようといったらびっくり。園長の仕事は大部分が政治的、渉外なんだなぁ。

 ここの園長先生は、体の不自由な老母の付き添い料に50万円払っているそうな。

「女が仕事を続けるのは大変なんや。何かは犠牲になる」

と言った。

 2カ月間、一番親切にしてくれた用務員の橋本さんは、働き者で、明るくて、かしこい人だった。でも、年とってからの臨時採用で、ボーナスもないし、給料だって、

「シルバー人材センターで仕事したほうがもうかる」

くらいの微々たるもの。

「そんな給料で働いたらアカンというくらい安すぎる給料ですよ。安すぎるわ」と憤慨する私に

「ひどいやろ。でも、私は働けるのが幸せやと思ってるんや。そりゃ、若いときから働いてれば、正式採用で給料も多いけどな、私は学もないし、こういうことでもできるだけ幸せなんや。子どもが小さい時はやっぱり家にいて、おかえり言うてやりたかったし、内職ぐらいしかできひんかったけどな、家にいてよかったと思ってる。まぁ、今は働けるうちは働いてもうちょっとしたらラクさせてもらうわ。」

ポジティブシンキングとはこういうことなんだろうな。橋本さんからはいっぱい学んだわ。

 子供達もかわいかったし、楽しい2カ月だった。何より、主婦の社会復帰というものを味あわせてもらった。といっても、また4月から無職なのだが。

 今は若い頃からの念願だった着物の着付け教室に通い始めた。もちろんフランス語も去年より熱心にやっている。こどもがよく食べるようになったので、飯炊きおばさんとして、毎食、どっさり作っている。がーでにんぐというものにも手を染めはじめた。要するに私は、3食昼寝付きの有閑マダムでいます。おーほほほ。どっかから石がとんできそうだ。


【ざわざわボンジュー; あめりか横断記】
【ざわざわボンジュー; 1999新年号】
【ざわざわボンジュー; 1999桜満開号】
【ざわざわボンジュー; モントリオール編】
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